人生のマス目は、一週ひとマスか、一年ひとマスか
有名なほうは一週ひとマスで、四千個あまりのマスになる。一年ひとマスにも十分な理由がある。週版が間違っているからではなく、そのマスのどれを指しても「そこで何があったか」を誰も言えないからだ。
ライフカレンダーを見たことがあるなら、それはほぼ確実に週のほうだろう。小さな四角がびっしり並び、一マスが一週間で、人生まるごとが一枚に収まっているあれだ。設計としては本当によくできていて、あの一撃こそがあれの存在理由でもある。
ほとんど誰も口にしないのは、その一撃のあとに何が起きるかだ。眺めて、何かが動いて、しまい込んで、それきり自分の生活に戻ってこない。この記事は、なぜそうなるのか、そして有名ではないが平凡な火曜日を生き延びるほうの選択肢について書く。
まず二つの図の算数を出す
掛け算を自分でやってみてほしい。この二つの数がこの記事の論拠のすべてだ。
- 一週ひとマス、八十年ぶん:80 × 52 = 4160 マス。読める大きさにすると紙一枚か壁一面になる。
- 一年ひとマス、八十年ぶん:80 マス。十マス一行なら八行で、スマホの画面にまだ余裕がある。
四千は「衝撃としては機能し、インターフェースとしては機能しない」数だ。四千のマスにラベルは付けられない。数えずに特定の一つを見つけることもできない。そして決定的なことに、どのマスについても「そこに何があったか」が答えられない。一週間という尺度は、単体で覚えているには小さすぎ、ひとつの性格を持つには大きすぎる。
八十マスは指させる数だ。自分のいる行はいまの十年で、自分のいるマスは今年で、その手前の八マスに何があったかは、だいたい分かる。
「一行十マス」は適当に決めたわけではない
どんなマス目も一行の長さを決めねばならず、説明が要らないのは十だけだ。人はもともと自分の人生を十年単位で語る——「二十代のころ」「四十代になって」。だから十マス一行は、すでに読者の頭の中にある単位と重なる。レイアウトを学ぶのではなく、見覚えるのだ。
七マス一行では一週間を連想させ、人生については何も意味しない。十二マスなら月を示唆する。十だけが十年を意味し、十年は、たいていの人が「歴史」ではなく「ひと続きの経験」としてまだ感じられる最大の単位だ。
Life Progress が使っているのはまさにこれで、入力した想定寿命ぶん、一マス一歳、一行十マス。目に入る一行がそのまま十年のかたまりになる。行頭のラベルは年齢にも西暦にもでき、前者なら一つの人生に、後者なら一つの歴史に見える。同じ図が読み方で表情を変え、切り替えはワンタップだ。
週のマス目にできないこと:中身を持てない
本当の限界は大きさではない。壁に貼られたライフカレンダーは静的な物体で、そこに何かが加わることはない。最初に比率を一度だけ告げ、それ以降はずっと装飾である。
スマホの上のマス目は索引になれる。Life Progress では、年に触れると十二の月に開き、月に触れるとその日々に開き、日に触れるとそこに書く場所がある。開いた日がすでに過ぎているかどうかをアプリが知っているので、同じ入力欄が今日の手前では振り返りを、向こうでは予定を求める。一日に一件、書くも書かないも自由だ。
これが「図表」と「カレンダー」の違いである。図表は比率を告げる。カレンダーは起きたことを抱えている。
マスが二度見に値するには何が要るか
過ぎたマスがすべて同じ顔をしているなら、その図は遠回りした進捗バーでしかない。マスは互いに違わねばならず、しかも「アプリが計算したこと」ではなく「あなたがしたこと」によって違わねばならない。
Life Progress では二つのものがマスに色をつける。働く尺度が違う。
- ライフステージ。年のマスは、子ども時代・思春期・青年期・中年期・その後で色の帯を持つ。これは構造的なもので、誕生日が同じ人なら誰でも同じになる。あなたが何も入れる前から図に形があるように、という役割だ。
- あなた自身の印。ある年のなかに印があれば、そのマスはその平均といくつ付けたかを帯びる。月に降りれば月ごとに同じものが出て、日に降りれば日のマス自体が気分の色に染まる。上は粗く、下は具体的に——この向きで正しい。
この図を何度も開く価値をつくるのは二つめのほうだ。つらかった年とよかった年が同じ顔をしなくなる。しかも日記をつける必要はなかった。週に何度かワンタップで、一年に色がつく。
週のマス目がなお正しい場面
年のマス目には真似できない長所が一つある。衝撃だ。四千マスの三分の一が埋まっている図は、八十マスの三分の一が埋まっている図より強い。目は数ではなく密度を読むからだ。一度きつく見たいのなら、週版を印刷して、目につくところに貼るのがいい。
不得手なのは、その次の火曜日だ。それは別の仕事であり、別の物体が要る。
年のマス目の実際的な使い方
- 正直に設定する。想定寿命はあなたが入れる数で、アプリが推定した数ではない。都合のいい数ではなく、ありそうな数を入れること。あとから変えられるし、マス目も伸び縮みする。
- 一度きちんと見る。自分のいるマスを探す。たいていの人は驚き、しかも予想とは違う方向に驚く。効くのは前方ではなく、背後の比率だ。
- そのあとは図全体を見るのをやめる。代わりに今年を開く。手を動かせるのは年の画面のほうで、人生全体の画面はそれに尺度を与えるだけだ。
- 日にメモを残す。両方向に。過ぎた日には何があったかを一行、まだの日には予定を。後者のほうが思っているより大事だ。図のなかでまだ変えられるのはそこだけだから。
- 印は気軽に、まじめにやらない。ワンタップを週に数回。目的は完全な記録ではなく、マスが互いに似なくなることだ。
正直に書いておくこと
人生のマス目は、あなたがこしらえた数の上に建つ算数の物体だ。予測ではないし、あなたの健康について何も知らないし、何かの証拠にもならない。比率を見るための道具にすぎない。そして比率は、数より行動に移しやすい。
それと、見ても助けにならないなら——視野ではなく恐れが出てくるなら——それはまったく妥当な結果で、正しい反応は閉じることだ。それについてはこのサイトに別の一本がある。よく訊かれるので、一本ぶんの価値があるからだ。
よくある質問
一週ひとマスのライフカレンダーは何マスありますか?
八十年なら約 4160 マス(80 × 52)です。4000 に丸める版も、九十年で 4680 とする版もあります。正確な数より桁のほうが重要で、どう数えても数千です。だからこそ週版はポスターとして機能し、インターフェースとしては機能しません。
Life Progress はなぜ週でなく年を使うのですか?
年が、その性格をまだ思い出せる最小の単位だからです。一マス一年・一行十マスなら百マス未満で画面に収まり、どの行も十年、どのマスも開いて月や日を見られます。週のマス目はその密度では開くことも、ラベルを付けることも、意味のある色をつけることもできません。
年齢ではなく西暦で見られますか?
はい。行頭のラベルはワンタップで切り替わり、選択は記憶されます。年齢なら一つの人生に、西暦なら一つの歴史になります。下にあるデータは同じものです。
すべてのマスを埋めないと役に立ちませんか?
いいえ。そして埋まりません。何も入れる前から図には形があります。過去と未来の年はすでに違い、ライフステージはすでに色を持っているからです。印は年どうしを区別させるためのもので、週に数回で足ります。空いた期間があっても、罰は何もありません。
ライフカレンダーはメメント・モリ系のアプリと同じですか?
重なりますが、切り取り方が違います。メメント・モリの物体は終わりについてのもので、ライフカレンダーは主に途中についてのものです。実際に使ってみると、人生のマス目で役に立つのは、まだ使っていない年ではなく、すでに使った年のほうでした。
いる場所を見て、通りすがりに印を残す
Life Progress は、今日・今週・今年・そして人生のなかでいまどこにいるかを見せます。今日の残りのうち本当に自分のものである時間、今年の残り日数と残りの週末、一マス一年で一生ぶんのマス目。ワンタップで印をつければ、その印がマス目に色をつけます。無料、アカウント不要、サーバーなし、通知なし、権限の要求もゼロ。